今日も元気に発狂

さあ、あなたも一緒に!

自己分析

こんばんは。

 

眠い。今日は心が激しく揺れ動いた日だったので疲れた。心が疲れた。身体というより。

 

というのも、仕事がねえ…………

 

ここで色々話したいことがある。

 

兵庫県神戸市】いいカフェだったよなあ…というのを思い出して、心を落ち着ける

 

さて。まず最近私の仕事がまた新しくなった。やっていることは 1. プロジェクトのリーダー、2. フレッシュマンのメンター。この2つである。(4月からドドンと新しいことをやっているので疲れるに決まっている。)

 

2 も色々言いたいことはあるのだが、今日は何と言っても1が目まぐるしかったので、その話をする。

 

先週から毎週のお客さんとのミーティングが始まった。先週は一発目で、初めて自分が中心となって喋ったのだが、うまく話せず涙が出た…という話を以下でした。

 

norimakichan.hatenablog.com

 

そして今日もそのミーティングの日だった。色々話すべき事項は盛り盛りで、お客さんの要求も明確ではない不確実性の高い時期であるし、何より私がうまく慣れない喋りなので、準備を入念に行っていた。朝から、何を話すかをチーム全員であーだこーだ言いながら考えていた。

 

朝、私が作った「これ話しますよ」の案を見せてチーム全員で上から辿っていたときに、上の方が色々と指摘をくださった。で、その中で私が全然理解ができなくて「こうですか?」「ああですか?」「こういう意味ですか?」と聞きまくるも、全然理解ができない。だんだんその人の言い方も強くなってきて、最後は結構バシッと「違う、これこれは知りたくない、これが知りたいの」と言われる事態に。

 

そこで涙が出てきた。やべ~、人と話してる最中に涙が……と思っている暇もなく、話は進んでいく。涙が止まらず、声も涙声になってきてしまい、必死に隠そうとしたが、多分隠れていなかったと思う。涙ダラダラ、鼻水ダラダラの中でどうしようもないと思っていたら、もうひとりの上の方がその話題に関してタスクを巻き取ってくださった。

 

その時間が終わった後、私はしばらく声を出して泣いた。こんなにガッツリ泣いたのは久々である。「先週が最初だったから一番泣いた、今週は初めてではないし先週ほど泣きはしないだろう」と思っていたが、大違いだった。余裕超えである。

泣きながら「なんで泣いているのか」を考えていたのだが、わからなかった。何が悲しくて辛くて泣いているのかもわからなかったが、ずっと声を出して泣いていた。あまりうるさいと隣に聞こえるので、声は抑えながら泣いた。

やることはたくさんあるのに…休んでいる場合じゃないんだけどさ…と思いながらも、それで40分くらい仕事が手につかなかった。

40分くらい後で、先程タスクを巻き取ってくださった上の方が(オンラインで)口頭で話しかけてきて、さっきの話について「お客さんと話す上でなぜそれが大事なのか」の解説をし、そして励ましてくださった。オンラインなので顔の上を涙が流れて鼻水が流れていたことはわからなかっただろうが、その人は、私の声から、私が泣いていたことがわかっていたのだろうなと思った。

 

その人と話した後で、わたわた準備をしていたらまたたく間にお昼が過ぎて、ミーティングの時間になっていた。私は緊張する間もなく、話をし始めた。

 

ドキドキしながらも、今回は比較的スラスラと言葉が出てきて、先週よりはロボット感なく話せた。特に、時間がカツカツなのを思い出してからは「時間内にすべてを話しきらなければ」と必死になって話していたので、緊張するということすらせず(できず)必死だった。

 

ミーティングが終わった後、先程タスクを巻き取ってくださった方から DM で「お疲れ様でした」と一言頂いた。本当に一言だけ。ありがたかった。

 

夕方、チームで今日やったことを報告する場でも、その人がお疲れ様でしたと言ってくださった。私がこういうお客さんと話すのを非常に緊張しているのを、とても良くわかっているのである。

 

そして終業時間を過ぎた頃、今度はビジネス側の方で一緒のチームとしてやっている方がオンラインで話しかけてくださった。この方も普段から私のことを非常に気にかけてくださるとてもお優しい方だ。

このときも、この方は私を気にかけてくださった。今朝私が涙声で話していたときのことについて(私にバシッと指摘してくださった方について)「あの人は言い方がきついときもあるから」と仰っていて、ああ…この人にも、あのとき私が泣いていたのはバレていたな…と思った。

それでその人は、私に対してアドバイスとか、大変ですよねという共感の言葉をくださったりした。あとは、具体的にこういうところはこうした方が負担が減りますか?みたいなことも言ってくださった。

私が何が辛いかというところについて話を聞いてくださったのもありがたかった。私は、自分が何が辛いかいまいちわからなかったのである。というのは、この人は、何が辛いのかの話においてもだが、全体的に私に対する励まし方として「〇〇さんは多分そんなふうに思っていないですよ」というような励まし方をしてくださった。それ自体とても救われるものではあったのだが、私はここで自分の辛さに対して気づきを得たのである。それは「私は果たして本当に、人からどう思われるかというところで辛くなっていたのか?」「私は多分、人からだめなやつと思われるから辛い…というのではなくて、ただただ自分が理解ができないことがしんどいのではないか」と思い始めた。

そう。このプロジェクトが始まって、私はお客さんのビジネスについても知らないし、プロジェクトリーダーの振る舞いも初めてだし、色々と知らないプロダクトについていろんな人に聞きながらやってきている。で、本当に理解できない、全然わからない、といったことが山程ある。というか、わからないことしかないといっても過言ではない。それが辛いんじゃないかと思ったのである。今朝「違う、そうじゃない」と言われたときも、その人の言い方が強いから…というのもあるかもしれないが、それより何より「何回聞いても全然理解できない」ということ自体が辛いのではないだろうかと。

よくよく考えたら(偏った思考なのかもしれないが)、昔から私が人前で涙を流した経験は、だいたいすべて「自分ができないこと」「理解できないこと」に対する涙だったなと思う。習い事のピアノで、何度練習しても先生のいったように弾けなかったとき、塾チューターのアルバイトで全然生徒に話しかけられなかったとき、公文で初めて方程式に出会って全く解き方が理解できなくて何度もバッテンをつけられたとき…………思い出せば思い出すほど、そうだなと思ってきた。

誰か、人からどう思われるとか、人が怖いとか、そういうわけではない。今回のケースも、人がどうという話ではないのだ。いやもちろん多少は「言い方が強くてきつかった」というのもあったかもしれないんだが、多分それは中心ではない。自分が、できない。全然理解できない。それがしんどかったんだと思う。

※幸運なことに、私の今の会社では、私に危害を加えようと思っている人がいないこと、いわゆるハラスメントにあたるような本当にきつい適切ではない物言いをする人が全くいないこと、この2つがわかりきっている(信頼できている)のである。私に指摘をくれるのは、プロジェクトの成功のために言ってくださっていることであって、一切そこに人格否定が入っていないことが保証されている(と、私が思えている)のである。だから、人に対しては特に心配しているわけではないのだ。

 

私はその方に励ましてもらった後にもしばらく泣いて(というか励ましてもらっている途中から泣いていた)、そしてやることをやりきって仕事を終えた。

 

それにしても、こんなにフォローされるなんてな…という気持ちになっていたが、それもまあ今更である。もうこうなったらとことんフォローされてやる。

 

総括だが、今日は本当に疲れたし、きつかったし、しんどかった。(まだやり始めたばかりなので早計なのは頭ではわかっているが、感情として)本当にもうプロジェクトリーダーはやりたくない。1日1日の頭の使う量が半端ではない。まあ、なんだけど、多分これが終わったら相当褒めてもらえるし、幸いサポートは引き続き手厚いから、なんとか乗り切っていきたいと思う。先週よりは断然ミーティングでうまく話せたし、こうやって1つずつ良くしていきたい。

 

ではまた。明日も素敵な一日になりますように。