今日も元気に発狂

さあ、あなたも一緒に!

幸せに、ブレーキをかけちまう

突然なのだが。

 

親から愛情を受けられなかったり、貧困だったり、大切な人を失ったり、いじめられて精神を病んだり…。そういった人生の辛い状況を経験した末に犯罪を犯してしまったり、自ら人生を終えるという選択をしてしまったり。悲しい結末を迎えてしまう人が、世界にはいる。日々ニュースや SNS でそういう人がいるということを知る。

 

これって紙一重だよな…と思うのだ。

私は、最高の家族に恵まれ、良い友だちに恵まれ、特に衣食住にこまることもなく、大切な人が突然いなくなったりもせず、何の災害にも見舞われず、仕事にも困らず、心身ともに健康で………………

例を挙げればキリがないが、とにかくとても「運が良い」人生だなと思うのだ。

 

もちろん自分が頑張ったからこそ、という部分もある。でもその頑張れたのも、上記のように、環境に恵まれたからこそである。

 

例えば、例えばの話であるが、私だって大切な人が突然いなくなってしまったり、貧困だったり、その他理不尽な目にあったりしたら、冒頭で言ったような「悲しい結末を迎える」人になる可能性はいくらだってあると思うのだ。孤独にだって、いつでもなり得る。

 

そう思うことが、それなりにある。

 

そしてこれを思ったとき、私は自分にとって楽しいと思えることをすることに躊躇を覚えてしまう。特に、旅行をするとか、ほしいもの(食料品とかではなく自分の娯楽とか便利のためのもの)を買うとか、そういう「お金を使うこと」に躊躇を覚える。後は人生の壮大な夢とかもだ。例えばカナダに住みたいとか。そういうのもなんかためらう気がする。

このとき、頭を巡っている考えが主に2つある。

1つ目は「自分だけ幸せになっていいんか?」という考えである。こういうときに限らないのだが、私はものすごく楽しいことをするとき、「家族を差し置いて自分だけいいのだろうか」とか思ってしまう。いやこれはまた別の話かな?分からなくなってきた。

2つ目は「こんなにお金を使っていいんか?将来貧困にならないようためておくべきなんじゃないの?」だ。貧困が、一番なってしまいやすい且つ防ぎやすい?からかなと思う。というか、お金って大事だよなと思う。心の余裕につながるから。そして心の余裕があれば、心さえ大丈夫であれば、多分大体の状況はなんとか生きていけると思っているから。

 

「辛いなら助けを求めればいいじゃない!」というけど、助けを求められる相手がいるか?いたとして本人が求めようと思うか?助けを求めるって意外と大変なんだよなと思うのだ。

最後の最後にたどり着くであろう、「カウンセリング」とか「心療内科」だって、お金がかかる。お金があればいいが、お金がなかったら選択肢から外れてしまう。そうしたらもうどうしようもないんじゃないのか。

先日カウンセリングを受け始めるときにも、この気持ちが勝って、ちょっとためらっていたのだ。なんて理由だと思われるかもしれないが、確かに私はこういう気持ちでためらったのである。お金があるから受けられる…けど、なかったら…?と。

 

そう、だからカウンセリングをいつでも受けられるようにお金ためておいた方がいいんじゃない?って言いたかったんだ。思い出した。

 

という感じで、ちょっとあまりまとまらないのだが、この「紙一重だよな」「自分だってこうなるかもしれないんだ」という気持ちに、私は結構苛まれる。幸せでいることにブレーキをかけてしまう。これって多分もったいないんだよな。

 

私はよく海外旅行の YouTube を見ているので、海外旅行に行ってとても楽しんでいる人がいるのも知っているし、一方で苦しんでいる人もいるということで、落差がすごいなって思ってしまう。(誰が悪いとか、そういう話ではなく、単純にこの世界に対して思っているだけです)

 

いつかこの件でカウンセリングを受けたいなあ。家族に言っても「何言ってんだ~」って言われるだろうし、友達とか会社の人にもわかってもらえなさそうな気がする。っていうか重い話題過ぎてあんまりだ。

 

とりあえず、今とあるニュースをみてこの気持ちになってしまってちょっと吐き出したかったので、ここに出させていただいた。ご清聴ありがとうございました。

 

追記:

私は、起こる可能性のかなり低い出来事を過剰に心配するという傾向があるので、それも含まれているとは思う。