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「専門性」への憧れ

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ケベックシティからセントローレンス川がみえる。

 

 

こんばんは。

 

 

私は、今まで部活や仕事などで(大げさに書くと)ポジションを割り当てられるということ経験したのだが、何らかのポジションを与えられると嬉しいし、段々そのポジションに愛着を感じるようになる。そこには、偉いとか偉くないとかそういう話は入ってこない。何と言ったらよいのかわからないが、なんというか、ポジションを振られることは、自分が何者であるかを知らせてくれるし、それが他の人ではない(「他の誰でもなく自分だけがこれ!」)ということもはっきりするから、気持ちがいい。だから、これからも、割り当ててほしい。これを私は「専門性」への憧れと名付けよう。

 

例えば、ワールドトリガーのボーダーでは、アタッカー、ガンナー、シューター、スナイパー、オールラウンダー、オペレーターというポジションがある。もし自分がワールドトリガーの世界に入ったら、喜んでこの中から自分のつきたいポジションを選ぶだろう。私はシューターです、とか言ってみたい(たとえが分かりづらい)

 

そして、なぜポジションをもらうことが気持ちの良いことなのかと今考えたのだが、それはもしかしたら、自分で自分の存在をズバッと言い切れる、はっきりするということが脳にとって都合がいいからなのかもしれない。わからなくて、言い切れなくて、ふわふわしている状態というのは、脳としては嬉しくないのかもしれない。「専門性」への憧れの正体は、はっきりさせたいという脳の性質にあるのではないだろうか。案外、科学的な話なのではないだろうか。

 

 

…で、なんでこんなことを突然書いたのかというと、「こういうことってありませんか?!」って言いたかったからです。「専門性」への憧れ、ありませんか?!

 

 

ではまた。