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ひきこもりの原因かもしれない「日本における個人主義」

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バンフの隣町キャンモアにある可愛い石鹸屋さん。目的がなくても入ってしまう…

 

 

こんにちは!

最近家族でワールドトリガーというアニメを一通りみました。私は最初はそこまで真剣に見ていなかったのですが、途中で某キャラに一目惚れして「推し」ができた途端(なんと昨日突然できた)、一気にワールドトリガーにハマってきています。早速漫画を全巻購入し、ツイッターで二次創作を(ネタバレし過ぎない程度に)漁っています。推しができるってとても嬉しいし楽しいなあ~としみじみ思いました。あと思ったのは、私はどうしても茶髪碧眼が好きなんだと。

 

 

さてさて、今日は自分の専門分野に関連した文献として、『文化を実験する 社会行動の文化・制度的基盤』という本の「第三章 文化変容と心の適応」を読みました。そしてこの文章で、自分の心に関する「なぜ」、それから現在社会問題化している「ひきこもり」について、とても納得した話が書いてあったので、以下に書いてみます。

 

 

※以下に書くことは社会生態心理学を専門とする一大学生による文献理解で、表現の良くない箇所があり、しかもかなり簡略化しております。このことを踏まえた上で、ぼんやりとご覧ください。

まず、この話をするのに必要な文化心理学の予備知識を簡単に。北米(アメリカ、カナダ等)と東洋(日本、韓国等)では人々の心理・行動・性格に様々な点で違いがみられます。日本は基本的に集団主義と言われますが、最近はグローバル化が進み、日本に北米の個人主義の考え方が入ってきています(例えば終身雇用制度が崩れること等)。

ここで重要なポイントは、「日本における個人主義は北米のそれとは違う」「日本の制度は集団主義のままである」「自分だけが考え方を変えても、他人は変わっていないと思い込んでしまう」この3つです。

1つ目は、日本の個人主義と北米のそれは違うということです。「北米の個人主義」は他人との一対一の関係を大切にするものですが、「日本における個人主義」は、他人との関係を断ち切るものとされているのです。また、日本の個人主義は「集団主義や伝統を悪とする」ような考えと一緒になっています。

2つ目は、日本の制度は集団主義のまま変わっていないということです。日本は集団主義として長い間続いてきていて、個人主義の考え方が入ってきても、終身雇用制度が崩れつつあっても、その様々な制度は集団主義に合わせたもののままです。

3つ目は、自分だけが考えを変えても、他人は変わっていないと思い込んでしまうということです。仮に自分の考え方が「北米の個人主義」に変わったとしても、自分以外の人間は集団主義的な考え方をしているだろうと考えるわけです。そうすると、考え方が「北米の個人主義」になった人も結局行動は「北米の個人主義」にならないのです。

 

 

これらのポイントが、「日本で個人主義を重視する人々の幸福感・適応感(社会になじめている感)の低さ」を生んでいるのではないか…というようなことが、本書から私が理解したことです。私自身、「日本の集団主義が嫌だ!個人主義がいいけどそのためには集団主義の考えや行動を捨て去らなければ!」「失敗したときにそれを改善しようとするのが苦手」(個人主義者は失敗よりも成功によってやる気が起きるが、集団主義者は失敗したときに「改善しよう」としてやる気が起きる)等と考えていて、それがまさに「日本の個人主義」であり、それによる幸福感・適応感の低さも自覚しています。「社会は集団主義をなくし、個人主義であるべきだ。もちろん自分も個人主義になりたい。しかし自分の考え方は簡単には変わらないし、自分が変わったとしても他人が変わらないと自分は生きていきづらい。しかも制度は集団主義的なままだし…」というような葛藤と共に生きているのです。皆さんの中にもそういう考え方をしていらっしゃる方はいませんかね…?とにかく私はこのことが理論的に分かって嬉しかったです。

そして私のようなこの幸福感・適応感の低さは、ひきこもり問題につながっている可能性があります(ひきこもりリスクの高い人々には、ざっくりとですが、個人主義的な考え方をしている人が多いようです)。つまり、極端に言えば、私もひきこもりリスクは高めということになります。

 

 

実はずっと読むのを渋っていたのですが、今日この文献を読んてよかったなあと思います。

それにしても、自分の頭の中で考えていることを実際に文章にしたり口で説明するのって難しいですよね。頭の中では言葉を使わず考えているような気さえします。

 

 

では!