こんばんは。
何か書きたいが、何書こうか迷って「はてなブロガーからのお題」を見てみると、良いお題が。
恐怖症の話。
真っ先に思い浮かんだのは、そう。
採血である。
採血だけは、一生無理である。
一生克服できないと思う。
恐怖症のレベル
毎回毎回。
採血されるその瞬間、そして採血されてからの数分間、私は泣いてしまうのである。大声を出したりはしないが、結構な量の涙を流して、呼吸も軽く乱れ、ちょっと取り乱した状態になる。
だから採血の前には、お医者さんや看護師さんに「採血に強い恐怖を感じます」「苦手です」と伝えるようにしている。
気絶や、気分悪くなったり…といったことはない。だから正式に「恐怖症」と呼ぶにはレベル感としては足りないかもしれないが、結構いい線いってるんじゃないかなあと思っている。(いい線いってほしくもないが)
何が怖いのか?怖いポイントは2点ほどある。
注射が無理
私は採血でなくても、ワクチン等注射というものが嫌いなのだ。
注射、怖くないですか。チクッとするの、普通に痛いし。
身体に異物を刺されるのが無理だなと思う。
ただ、これだけならば「恐怖症」にはならない(その証拠に、ワクチンならばギリギリセーフである)。問題はもうひとつのポイントにある。
「体内の血液量を減少させられる」という自覚のもと、無理
ワクチンはギリギリセーフで、採血がアウトな理由はここにある。
いつもうまく説明できないのだが、「血を抜かれる」=悪いこと、のように思えてしまうのだ。
人間はあまりに血が減ると死んでしまう。だから怪我をしたら真っ先に血を止めようとする。体内の血が減ることは、たとえ少量でも、害のないレベルであっても、よいことではない(「よいこと」とみなされることはない)。
それを前提として、私は採血を「体内の血の量を一時的に、故意に減らされる行為」ととらえている。もちろん、身体に害が及ぶほど血を抜かれるわけではないことは重々承知しているのだが、それでも「身体から血が減っている」という認識によって恐怖が増大する。
刷り込み?
上記2点が怖いポイントと書いたのだが、最近はもうそれすらも超えているかもしれない。
つまり、もはや「採血=怖いもの」という刷り込み(先入観?)だけで恐怖症になっているのかもしれないなと思ったりもする。
ていうか採血をされると思ったら涙が出るという現象なのかもしれない。「パブロフの犬」みたいな。
分からんが、とにかく採血は怖い。何回やっても泣いてしまう。
鎮静剤をうってもらえるときはラッキーだ*1。
まあでも(少なくとも今は)そんなに機会は多くないので、別に今すぐ克服しないと生きづらい!というほどでもない。1年に1回くらい頑張ればいいだけ。
ではまた。
お題ありがとうございました!