こんばんは。今日もお疲れ様です。
ゼミ
ゼミ本編
概要としては、スタバで邪魔な場所に椅子があるとき、人は椅子を動かすか、動かさずによけたり自分を合わせたりするか、そこに地域差(正確には「生業形態による差」)はあるのか…という内容だ。まずやっている実験が面白いし、文章も(英語論文にしては)読みやすい。この話は、例えばホテルで自分のやりやすいように家具を移動するか否か…といった話にも通ずるなあ。
今日は発言せず。今日くらい許せ。息抜きだ。
しかし息抜きができるのも今日まで。来週からは何をやるのかと思いきや、先生が「それぞれの進捗についてまた発表してもらおうかと思った」「それぞれのテーマについてディスカッションしようか」などと言い出した。いやまあそうあって然るべき時期なのはわかるが、ちょっと待ってくれ。前回の進捗発表から何も解決していない。これから再び、毎週胃の痛い(←今年はガチで)ゼミが始まってしまうのか…?!乞うご期待!(涙目)
最後に、卒論進捗を聞かれてしまった。
そして我々5人、全体として進捗はいまいち。先生からやんわりと「思ったより進んでいない感じ」ということを伝えられてしまった。ドキン(動悸の音)
でも先生はとても優しいので、というか人間ができているので、怒ったりネチネチとした嫌味を仰ったりはしない。「完璧な研究はないし、突き詰めればいくらでも改善はできますが、ある程度のところで切って、スピードアップしましょう」とのこと。また、「色々迷うと思いますが、相談してください。研究はそういうものなので、自分がダメだからとか考えなくて結構です」とのこと。おお、神よ…
ゼミに心身を蝕まれる友人
今日卒論進捗報告をしたとき、何とも言えない薄暗い表情で、「進捗がない、手につかない」と言い放った我が友人。LINEで話を聞いたところ、ゼミのときに緊張して発熱してしまう状態が続いているとのこと。おお同志よ。どうかつぶれないでおくれ。共に卒業しようではないか。
やっぱりゼミってきついよな?!そうやってつぶれてしまう人もきっと、少なくはないのだろう。上の学年をみていればわかる。
でもつぶれてなるものか。私は知っている。困難を乗り越えた先には、とんでもないほどの成長があり、見たこともないような景色が広がっているということを。プレ卒論のときの苦しみが確実に糧になっていることがその証拠だ。
そして同輩たちもつぶれさせはしない。必ず手を差し伸べる。苦しい思いをしている人に手を差し伸べることができる人間になると、このゼミを受けていて密かに誓ったのだ。私はあなたの味方だということも、私はあなたの意見に賛成だということも、きちんと口にすることは、今の日本ではやりづらいことも多いが、そういうポジティブフィードバックが少ないのは、あまりに悲しいではないか。だから私は今後必ず、それをしていくと決めたのだ。その第一歩が、今日私がしたLINEだ。私は自分からLINEをすることがとても苦手だから、今日の第一歩は小さくとも大きな第一歩だ。
ということで、カッコいいセリフを沢山述べたが、つまり私は胃痛、この子は発熱。そういうことだ(どういうことだ?)
「オンライン就活」キャリアセミナー
今日は中卒で働かれた後、起業をされたとてもパワフルな方がご登場。ありがとうございました。
- 掃除をしてくれる人、調理をしてくれる人、ごみを回収してくれる人などのように、見えづらいが素晴らしい仕事をしてくれる人々に御礼をいうべき。人知れず頑張っている人に目を向けるべき。 同じお客さんでも、「ありがとう」をいってくれる人の方が何百倍も良いだろう。
- 自分の仕事を、できるだけ多くの人に触れてもらうようにしている。一人でできる仕事を、わざと分担して他人にも手伝ってもらったりしている。
- 人のポテンシャルを最大限引き出せるようになることを目指している。
- 人間関係において、相手のことを考えるというのはとても大切。それができないと、傲慢になって軋轢が生まれる。恋人や家族など親しい間柄の人間など、要注意。
先人からの教え
私の大学には、大学OB、OGとのマンツーマンの対話というシステムがある。
私はそれを利用して、常々OGから、生きる上でのアドバイスをいただいている。
今は疫病の時代だから対面での対話はできず、紙面での対話となっている。
私は先日、いつもお世話になっているOGに「価値観の違う人とうまくつきあっていくにはどうすればいいか」という質問をした。その返事はこうだ。
- 私も価値観の合わない人と話すとすぐ疲れます。多分過剰に「人が自分と合うこと」を期待するからなのかもしれない。
- 価値観の合わない人との場面に自分が居合わせたのは、神様がそうさせたと思ってみたらいいかもと、私の先輩はいいました。
- 価値観の合わない人といることは、自分を成長させる良い機会。後からその「意味」が分かってくるはず。
- 年若いから「人を許す」ということが難しいのかも。歳をとればその苦しみからは解放される。なぜなら体力がなくなっていくから。
- 相手を許すという意味の「恕」がリーダーシップには必要です。
- 仕事の人間関係は割り切れるから楽だ。目的を達成するために分担して動くのみ。一生付き合うわけでもないし。
確かにそうっすよね…って感じの内容だ。やっぱそうするっきゃないわ。
ただ、仕事の人間関係を楽だとするのは、なるほどなと思った。思っていたことと逆だったので。
本日の「おわりに」
卒論が心配で仕方ないが、自分と同じように苦しんでいる仲間がいると思うと頑張れる。皆、一緒に頑張ろうな。あ、推し可愛い。
ではまた。グンナイ!